会ってみたい、話を聞いてみたい人 [ひとりごと]
色々な人に会えないまま・・亡くなってしまった人たちがいる。
あーそういえばかえるの恩師。
会いたいと思いつつ、なかなか遠出のできないかえる人生。
会えないままにお亡くなりになった。
そして今、本当に会って話を聞いてみたい人。
内田先生。
↑この本を本屋さんで見かけて、図書館で取り寄せて読んでみた。
ヤバいよ・・かえるがいつも思っていることを文章にしてくれている。
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あーそれにしても台風のあとの地震。
2年前の中越地震も同じくだった。
そしてかえるのうちの柱時計は、地震の前後におかしな鐘を鳴らす。
今回も昨日から変だった。
平成15年9月26日の釧路沖地震から・・ひょっとして?と思い出していたこの鐘が・・変な時間になりだすとおおきな地震が起こるということ・・これは、日本の近くだけでなく、
スマトラ沖地震の時もそうだった。
前回の中越地震の時も・・・。
あさのメール [日常]
かえるは最近疲れ易い。
一昨日の夜に・・かえるのうちで
かえる集会があって、
おばさんが8人ほど8時前から10時前までおしゃべりしていた(会議だし)
お題は「夏休みの地域パトロール」
かえるは遅い時間に活動すると・・疲れる。
きのうは朝から歯医者・・かえるのくせに「いんぷらんと」なんてものをいれてしまったので、
それの保安維持のためためだけど・・虫歯も発見されて、
これまたかよわねば・・の悲しいお話。
午後はかえるちびのかえるサッカー塾(土日のチーム練習ではなく、
某スポーツメーカーがらみの物だし)に連れて行き、
なんだか雨の中かえるのくせにかっぱを着て走り回って、
2日連続疲れた。
で、今朝・・早朝のメールで目が覚めた。
こんな物に登録しているかえる。
どうも朝、かえるの近くの地域で地震があったらしい。
かえるは気付かなかったけど。
あーしかし・・・かえるは疲れるのだ。
かえるはあめが好き [ひとりごと]
かえるといえば、
この一年間でいろいろなことがあったなぁ〜。
かえるというと
ツボカビ症
で大変こまった・・わけで。
この病気・・密かに広がっているのだわね。
今年・・蚊がいつもよりも多い気がするのは・・このためか?
やっぱり・・こういうあまり目に見えない恐怖の方が・・より怖い訳で、
かえるは・・とっても恐怖にビビっている訳だし〜。
そういえば・・今は梅雨。
かえるの好きな季節だけど、
いやだな〜。
明日は歯医者もあるし。
役所にいかねばならないし。
朝もひどければ・・・かえる娘は・・きっと夜更かしをしている(一応受験生・・allE判定だけど)
ので、朝は起きれない・・だから車で駅まで送るんだろう。
あーちびは明日遠足なのに。
しかも先週のリベンジなのに。
あーそうそうそういえば、かえるのうちにりすがくるのだ。
毎朝こんなやつが来る。
この写真は今年はじめの写真だけど。
毎朝出勤するのだ。
こんなことを支離滅裂に雨の深夜・・かえるは思っているのだ。
裏付けのない幸せに翻弄される [ひとりごと]
豊かなんだよね・・日本。
本当に手に入らない物がない位。
だから・・なんで学ばなきゃいけないのか。
なんで働かなければいけないのか。
苦しい思いをしてまでも・・学校に仕事にいかなければいけないのか・・見えてこない。
本当に豊かなのかな?
誰かの犠牲の上に豊かな日本を演じているのではないかな?
あなたが今食べたもの。
今着ているもの。
あなたが今無意識に享受しているもの。
それは・・・誰かの犠牲の上で・・しかうけることができないのでは?
確かに前の世代。
昔の人たちは苦労をした。
けどけど・・自分たちの背丈にあった生き方、苦労をして今がある訳で・・・。
今の日本・・幻の上で成り立っている気がする。
そんなことを言いつつも、
かえるも何も一人で生きている訳ではなく、
誰かの犠牲の上であぐらをかいて生きているのだよ・・。
かえるが多くの子どもたちと接して感じたこと・・
これは・・幻の豊かさ故の豊病に罹患してしまっている日本があるんじゃないのかと。
そんなことを思いながらかえるは生きる。
あけてしまったパンドラの箱・・・ [ひとりごと]
17年ぶりに偶然半年だけ通うことになった昔の職場。
仕事をやってみて・・私はこの仕事が好きだったんだと再認識できた。
けど・・この形でこの仕事をすることは・・今の自分がもとめているものとは違うのかとも思った。
そのときよその国でこの仕事をしている人がJicaの研修で日本を訪れると聞き、
ホームステイで受け入れることにしたのだ。
たまらんかった・・色々なことを片言の英語で
手振り身振りで話しているうちに・・今の日本の子どもたちの環境のひどさに、
悲しくて悲しくて・・どうにもならなくなった。
と同時に物だけには恵まれて、心がない今の日本の状況は、
ある意味・・地獄なのかもしれないと。
物で心を満たしているかの様に錯覚に陥らされていて、
どんどん視野の狭い子どもや親が量産されて行っている気がしてきた。
もっともっと勉強をして、
本当に心の豊かな生き方ができる様に頑張ろう。
もっともっと視野を広げなきゃ。
と同時に生んでしまった自分の子どもたち・・守らなきゃ。
とはいえども、自分の子どもを守ることのできるのも
人生の中ではわずかな時だけ。
あとは自分で立って生きてもらうために・・サポートして行かなきゃ。
そして、本当に困っている子どもたちを
サポートできる生き方を細々と続けて行こうと思っているのだ。
で、今は少しだけ・・国際協力をしているofficeのお手伝いにいっているかえるでした。
こどもと海・・今年の海なのです。
パンドラの箱 [ひとりごと]
寝ていた間のかえるは、
パンドラの箱を開けてしまったようだ。
今まで封印していたパンドラの箱。
自分自身が進んで行こうとして、
けど・・もうこれはなかったことにしようと
納得をするためにしまってしまったパンドラの箱。
あけるきっかけになったことは
大昔の職場に半年だけ戻ってしまったこと。
よその国の全く違った価値観を持った人をホームステイで受け入れたこと。
長く寝てしまった [日常]
気がついたら・・so-netさんが進化していた。
かえるは・・この一年で、
何年分も年を取ってしまった気がする。色々なことがありすぎて・・・・。
なんだか人生が急激に進んでしまった感じ。
一番のおおきな出来事は・・・・
bhutanと言う国の人とお友達になったこと。
人生が急展開し始めた。
えらいことです。
芸能人の離婚・・シングルマザーになるという選択 [ひとりごと]
あんまり芸能ネタは好きでないというか、
ほとんどテレビのスイッチが入っていないかえるのうち。
けど、最近思うこと。
「子どものままの感覚で妊娠し、結婚し、
しばらくして離婚・・シングルマザーになっていく」という感覚が
今までの日本では考えられることがなかった
「個としての個人」が急速に広がってきた現れだと思っている
今日この頃のかえる。
(あーこの文章わかり辛い)
とにかく、毎日毎日、自分のいきてきた感覚と違う人たちと
過ごしていると、なんだか自分自身が宙に浮いているような気がするのだ。
日本は戦後60年、気が狂った様に世の中が変わってきた。
というか、かえられてきた。
その中で、私たちは翻弄され、その時代時代に流され、
どうして良いかもわからずに、とりあえず、周りの「最大公約数」の中にいることで、
自分の場所を得て、安心していて、
自分とは違う人を認めるということがとても苦手な人びとになってしまった。
そんなこと、気づいてなってしまったのではなく、
気がつくとなっていたのだ。
だから、なんだかまずいのではないか?
これじゃ・・
身の丈にあった生活 [日常]
今世の中では「セレブ」という言葉が、
皆のあこがれの様にもてはやされている。
かえるは嫌いだ。
かえるは、いつも思う。
平等って何だろう?って。
平等という言葉で、頑張っている人たちのやる気を失わさせていませんか?
間違った平等。
そんなことを思っているのだけれど、
いつも思うことは、かえる自身が生きてきた時代と、
その少し前の時代、
そしてその少し後の時代、
それぞれがものすごく違っていることに気づいた。
いや〜小さいときから、うすうすは気づいていたけど、
このところ本当にこの世代格差に、悩んでいる。
個々人ではそれぞれに違う人がいるので、
すべてが同じだとは思わない。
そして、かえる世代にもどうにもこうにも理解しがたい考えの人が、
小さいときからいたのだけれどね。
こんな話あんまりできる話じゃないけど、
こんな話を聞いた。
<昭和の初め、ものがまだ豊かにある頃子ども時代を過ごし、
戦争時代に青春時代を過ごし、
結婚相手もままならず、戦争から戻ってきた若者一人に、
トラックいっぱい女性がいるという時代に
適齢期(もう死語だね)を迎え、縁あって結婚した男性には先立たれ、
一人娘も子ども出産のちに、子どもを残して先に逝き、
残された孫を我が子として育て、
焼けだされて、財産もなく、この子に残せるのは「教育」しかないと、
女で一つで、商売をして子どもを育て上げた。
片親だと寂しい思いをさせたくないと、
無理をして習い事、教育も当時としては、
お金持ちと言われる人たちが行くようなところに、
身を削ってまで、行かせた。
けど、成人して、家を建てるというので援助をして、
同居しようと言ってくれるので、やってきたところ、
悲しいかな・・邪魔者扱い。>
身の丈に合った生活をしていかなければ、
子どもに苦労をかけたくないと言う気持ちは
本当に良くわかる。
けど、身の丈にあった生活の中で、
努力しなければいけないと思うのだ。
この話は今のセレブブームの根底に流れるもので、
身の丈に合った生活じゃないの。
すべてお金ともので埋め合わせていて、
何もないからせめて、教育・・これが間違いだったと思うの。
そして、高度成長期・・これも間違いの始まり。
日本全体が身の丈に合ってない日々を
無理してでも送ることができた時代が
高度成長期後半からやってきたのだ。
ちょうど1980年代。
だから、この時代に子ども時代を送っている人たちと、
1960年代1970年代に子ども時代と送っているかえる世代。
さらに1950年代に子ども時代を送っている人では、
全然違うのは当たり前なのだ。
世の中の動きはそうであろうとも、
確固たる気持ちと思いで、いきていて、子育てしてきた人たちは
たくさんいる。
だから、その人たちが大半であれば、それはよし。
ところがそういう考えに方向を持たない人たちが急激に増えているのだ。
などと色々なことを思いつつも、
フツーの日々を淡々と送りたいのだ。