SSブログ

このところ思うこと [ひとりごと]

昨日は娘に大学受験塾から電話があったらしい。
たまたま娘と息子で留守番中の出来事で、
今度訪問しますといわれてしまったらしい。

夕方再度電話があり、そのバイトの大学生と話をした。

「いったい、どんな名簿で電話してきているのですか?」
「○○区の高校一年生の名簿です。予備校とかからお手紙が来ますでしょ。
それと同じです。法的なものはきちんと申請して調べています。」
「法的なものはきちんとしているかどうか?そのようなことより、
このような時間(休日のご飯時間)に電話をかけてくる非常識さはどういうことでしょうか?また、電話をかけて、訪問しなくては生徒が集まらないのですね。」
「娘さんはご興味あるようですよ」
「かえるどもはそのようなところでお世話になるつもりはございません」

と電話を切りました。

どうも、娘に学校のことや、
成績はどの程度かと聞いた挙げ句、
自分は○○高校出身で○○大学生だそうで、
娘に「あんたばかでしょ」って感じでえらそうにしゃべっていたそうだ。
(かえるにも偉そうに、「大学に行かせたくないのですか」等と
いっていました。)

バイトだから仕方ないにしても、
そのような形でしか働けない自分に情けなくないのかな?
とともに、大学に入学したことがそんなに偉いのかな?
あなたはそこで何を学んでいるの?
何に向かっているの?

かえるは娘を大学に行かせたいとか行かせないとか思わない。
彼女が何をしたいか、何に向かいたいのか。
そしてそのためにはどうすればいいのかをアドバイスはしたいけど、
○○大学に行ってほしいとか、
現役で行ってほしいとか思わない。

生きることはそんなことじゃないから。

*******************************
Queenのコンサートに行ってから、
というかその前から少し予兆はあったことナノだけど、
(風間杜夫の一人芝居とかも含み・・・
いや、かえるが姑をみとってから始まった人生のトンネルを抜けることで、
いままで見えていなかったことが見え始めたからだと思う)
いろいろなことが星のように点在していた周りが
どんどんつながりはじめているのを感じる。

30年も前から、いや生まれたときから、
何かの流れの中で生きているかえるがいるんだと感じるのだけど、
その流れがようやくこんな感じなのかもしれないと
思いはじめているのだ。

かえるは
自然、子ども、音楽がキーワードなのだ。
そのために自然科学を学んだ。
そのために放送大学で学んでいる。
そして、今の日本の中ではなかなか感じられないいろいろな自然や子どもたちの教育環境
そう、五感を豊かにする環境を得るためにも、
語学を修得して、短期間できれば少しながめに、日本の外に子どもと行こう。
かえるの子どもだけでなく、世界のいろいろな価値観の中にいる子どもたちと、
かえるだけでなく、かえるの子どもも五感で違う感覚を味わわせてあげたい。

そんなことを考えながら生きていて、
ハッと気付くと、
兄貴と同級生を持つ友達が、
アイルランドに子どもとともに渡り、
(アイルランドの教育環境がすばらしいとのことで)
そこで仕事を探し生活しているのだ。
また、音楽で心を豊かにしたいと思っていたら、
高校の時のあこがれの先輩が
うちの山向こうにすんでいて(大阪人です)
ちょっと著名なアレンジャーになっていた。

今まで気付かなかったけど、
すてきな人がたくさん回りいて、
かえるもわくわくしてしまうのだ。

いろいろなことが全て伏線で、
例えば、娘の高校関係でホームスティの受け入れをしてみたり、
緑花の試験を受けてみたり、
教育学福祉学の勉強をしてみたり。

そして、このBlogの世界でもであっていく人たちから、
いろいろなエネルギーをもらえたり。

そんなことばかり考えてしまうこのごろ。

******************************
娘も息子も大志を抱いてほしい。

そんなことを思うと、大学進学塾?って疑問を感じざるを得ない。
学力はそんなことでついていかないのだ。
毎日の生活の中で培われる。

最後に一年死ぬ気で勉強するんだよ。
それまではいろいろなことを五感で感じ、
涙して、感動し、人間関係を作り、
心を厚くして、大きくなるんだよ。

それができないで、ただただ要領のみで、
ブランド志向で大学に進んだところで、
なんにも残らないとかえるは知っているから。

かえるは、どんぞこから這い上がって大学に進学したと自負しているのだ。

よいこを続けることが万人全てにとって幸せとは限らないことも知っている。

それを次の世代に伝えたい。


nice!(2)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

インナーマザー [ひとりごと]

斉藤学さんの著書は何冊か持っている。
先日図書館で見つけたこの本
「インナーマザー あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」」
これなんですよ。
私の中にすんでいる親たち。
インナーマザー—あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」
インナーマザー—あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」
斎藤 学

この数年ようやく、この呪縛から外れるようになってきたのが、
夏と年末にまた戻ってしまうかえるがいる。

けど、斉藤さんの著書を読んでいると、
気持ち良く整理されていくかえるがいる。

そして、このページで気持ちをはくことで、
これでいいんだと思えるかえるがいる。

かえるが今年になり感じ出しているいろいろなことは、
斉藤さんの言葉をかりると、thriverになりはじめているのかもしれない。

たくさんのみなさんにコメントをいただき、
両親と会わなくてはならないときでも
これでいいんだと思えるようになるときが
くるんだと信じている。


nice!(1)  コメント(8)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

子どもは悪くない [ひとりごと]

いろいろ思うのだけど、
やっぱり子どもは悪くない。

多分、親も悪くない。

何が悪いのか?

社会?
教育?

なに?

自分を生かしていただいている今の世の中。

実は世の中自体が大きな流れの渦に巻き込まれて、
自分がきちんと考えを持たないと流されてしまう、
濁流のような目に見えない思いが、
渦巻いているからかもしれないと、
かえるは思う。

かえるはどちらかというと性善説がすき。

たぶん、学ということでいろいろ今まで見えなかったことが見えてくるのでしょうから、
学ばないでも、何でも手に入るというこの豊かな時代が、
大人を子ども化してしまい、ものを考えないようにしてしまっているのだろう。

だとしたら社会?が悪い?

社会じゃないんだろうな。
人間が爆発的に進化してしまったことが全ての悪の始まりなんだろうな。

行き着くところは、
分からない。

ただ一つ分かることは、
濁流の中どれだけあがいてあがき抜いて生きていけるか。

それをどこかで誰かが見ているんだろうな。
きっと目に見えない誰かが。

あがきながら、自己実現に近付いて、
そして年老いていく。

最後にいい人生だったと、
自分の人生を振り返ることができれば、
幸せだと思う。

まだ、自分の人生を振り返るなんてできない。
時々後ろ見て、
黙々と走る。

人生のマラソンはまだ15km地点も終わっていない気がする。

まだ半分以上あると思いながらぼちぼちと走る。

かえるにはそれしかできない。


nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自分の感性 [ひとりごと]

おととい風間杜夫一人芝居を観劇してから、かえるのこころは騒いでいる。

それは何かというと、多分かえるの人生の中で一番最初にみた演劇に
風間さんが出ていたからだと思う。
いままで封印されていた当時のことが断片的によみがえり、
なんだか収拾のつかない状態になりつつあるようなのだ。

はじめてみた演劇それは「蒲田行進曲」
映画でも見たので、それにも風間さんが出ていた。
けど演劇では、銀ちゃん役ではなく、
そのライバルの俳優さんだった。

いつ誰と見たか思い出せす、Webで検索をしてみた。
蒲田行進曲大阪の毎日ホールで見たんだ。
誰と見たんだろう。
確かチケットがあると誘われたんだ。
女の子3人でいった気がする。
ひょっとして、日航機の事故で亡くなった演劇部の部長とみたんだっけ。
分からない、それ以上のことは分からない。

その数年後、熱海殺人事件をシルクホールで見たような気がする。

当時のかえるは人生で最も悩んだ時期で、
進路のこと、これからのかえるはどうやって生きていけば良いのか本気で悩んでいた。
人生の岐路に立っていた。

そして、当時いろいろなことを記憶の奥底に封印して生きてきたことを
ほんの一週間前までは全く覚えていなかったのに、
今はどんどん湧き出るかの如く、無意識下から意識によじ上ってきている。

風間さんは25年前もすてきだった。
今もすてきだ。

25年前、私は意識をきちんと持ちはじめ生きてきたし、
風間さんも舞台ですてきな役者さんだったのだ。

こんなに時が経っていたんだと思うと、
なんだか不思議な気持ちがする。

時間が経つにつれて、その一つ一つの舞台での風間さんの表情、
動きは頭の中で鮮明によみがえってくる。

先日の音楽のことだけでなく、
演劇でも同じような感覚を得るんだと、
かえる自身、自分の感性に驚いている。

音楽でも演劇でも文学でも本物の芸術は
人の心を思いきり揺さぶるものなのだ。

かえるは本当は芸術をも学びたかったんだということも、
また思い出してしまった。


nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

愛知万博 [ひとりごと]

もうすぐ終わる。

昨日は初の入場制限がかかるほど人が押し寄せたそうだ。

かえるは万博といえば「大阪」「つくば」なのだけど、
大阪万博がなぜだか思い出に残っている。

一度しかいっていない。
小学校の遠足で。

当時小学3年生以上の子どもたちの遠足は万博。
動員だったんだよね。

かえるは小学三年生だったので、いった。

ビルマ館というところしか入れなかった。
すごい人だった。

大阪に住んでいたので、
いとこたちは「なんどもいったでしょう」と
夏休みに父の故郷滋賀にいった時にいわれた。

けど、その遠足だけしかいっていなかった。

こどもたちも愛知万博いきたかったのかな?

結局一度もいけずに終わってしまう。
愛知万博。

大阪万博の思い出は↓の方がまとめていらっしゃって、
驚きです!!
http://www5.plala.or.jp/GTM/bakarutahi.htm
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/obaq/column/expo70-4.htm


かえるのこころの内側 [ひとりごと]

かえるの心の内側はほんきでどろどろしている。
多分、かえるの生育歴の問題だと思うんだけど。

けど、どろどろしていても始まらないので、
毎日ポジティブに生きようと、こどものころはがんばってポジティブにいきていた。

そうして大人になったら、普通の生活で満足しろ。
なんでそんなに勉強したり、いろんなことを考えるんだ。
てきとーにしろというかえる親。

実はかえるが自分達の価値観から出ていくことが嫌だったんだろうな。
けど残念ながら、やっぱり親とかえるは別の人。

そんなことを思いながら、まあ今は自分らしくがんばらないで
ぼちぼちとポジティブに生きる方法を身に付けることができた。

ってこんなこと、みんなもっと若いうちに身に付けているんだろうけど。

ここのblogでいろいろな自分のこころの内側をはかせてもらって、
こっそりやっていたのが、いろんな人に励まされて、
すごく幸せな気持ちでいる。

今のかえる家族が幸せでいることが、
一番重要で、自分勝手な幸せでなく、
世の中の子どもたちがみんな幸せでいてほしいと思う。

そんなことを思いながら、かえるはこれからの10年。
ちびが育ちあがってからの人生、
たくさんの人たちとすてきなときを過ごしたいと思う。

いつ日にはまたかえる両親の価値観に連れもどされるときがくるかもしれない。
その時はそのときでどうにかなるさと思うようにしたい。

こころの内側を聞いて下さってありがとう。

かえるはかえる自身が間違っているのではないかと、
心理学や社会学や教育学を学ぶことをこの年になってもやめなかった。
このことからもかえるは間違っていないんだと、認識できたし、
またみなさんの励ましでも、これで大丈夫だと思えることができたので、
ようやく大人になれてきた気がします。

かえるの価値観はかえる自身のものとして、
確立していくもので、かえる子どもに強要するものではない。
価値観を確立するのは自分自身しかないんだと、
今さらながらに思います。

またまた、毎日をポジティブに生きていきます。

そうそう!
以前から受験しようしようと思っていて、
ようやく今年初めて
緑・花文化の知識認定試験を受験します。
緑花文化士 になれたらいいなぁ。
ポジティブに!

子どもたちと自然を語ることのできる人になります。
日本だけじゃなく、いろいろな国の人と交流をし、
いろいろな国の子どもたちと自然を語りたいです。
そしていろいろな国の自然に触れてみたい。
いろいろな国の子どもたちの現状を見てみたい。
それが漠然としたかえるの夢。

そのなかで、一年くらい英国に行きたいわけです。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ちょっとおもうこと [ひとりごと]

かえるは思うことがある。
実は若い友人が先生になるとがんばっている。
何に対しても一生懸命だし、
学校も優秀だったんだろうと思うし、
すてきな学生時代だったんだろうなと思う。

しかし、彼女は採用試験前
「採用試験予備校」に必死で通っていたのです。
教員経験は全くなく、
予備校で方法論を学んでいるわけです。

かえるが知っている20年前の教育現場は、
採用難ということもあり、
臨時任用で担任を持ちながら、
採用試験を受けて、数年後採用という形で、
教員になっていく人が多かった。

臨時任用で担任を持ち、
子どもにも保護者にもとても信頼されていて、
部活動も熱心で大きな大会にも参加して、
けど、教育現状の悲惨さをみて、
違う仕事についた友人も多数いて、
また、自分の子育ては自分でしなきゃと、
子どもを生んでからは、教育現場からはなれて
(かえるがこれです)
いろいろな生き方をしている人がたくさんいたし、
今、子育てがひと段落して、
また臨時任用で現場に戻っていく友人もいたりで、
いろいろだったんですよ。

うーん。ひょっとして今の若い世代の先生は、
予備校で方法論を学んで要領よく教員になっているのかな?

だとしたら、子どもたちが塾に行って方法論を学んでくることに、
何の抵抗も感じないはず。

ちがうでしょ!

学という本質は方法論だけじゃない。

確かに方法論も要領も大切。
けれど、小中学時代は要領よりも物事の本質を伝えられる人に
先生になって欲しい。

けれど今の世の中塾にいって習い事して、
マニュアルどおり生きることで精いっぱいな人が多すぎて、
その中で大人になっている人も多くて、
その人たちが今親になろうとしていて
親になっている人もいて、
先生になったりして、
それでいいのかな?

失敗しても、自分の気持ちに正直に生きれる人。
苦労することで学ぶこともあるし、
それで人間的にあつくなれるはず。

そんなことをきちんと受け止められる人大人になれれば、
少々遠回り人生でもいいはず。

そして、いろいろな価値観を受け止められるはず。

もう少し不器用になっていいんじゃない!
そんなことをおもうかえるでした。



nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

自分の思い(その1) [ひとりごと]

かえるは昔から、自分が思うこと願い、努力するとかなうと信じている。

かなってきたたくさんの思いのほかに
まだまだ、思いはつきない。

その中の一つに英国で庭園師の修行がしたい。
というものがある。(昔、音楽で食べていきたいと思っていた頃から英国暮らしは夢だった)
いつかこれで一年くらい海外で暮らしたい。
そんな夢を持ちつつも、現実の生活でばたばたしているわけだけど、
意外と一生懸命生きていると、
実現するものではないかと思うのだ。

実は本当にいきたいと思っていた英国には、
なんと懸賞で当選してしまい、いってしまった過去があり、
結局、思いはほんの少しずつ積み重なり、
本物になるんだ。

その夢に向かい、日々の生活をぼちぼちと暮らす。
そして、忘れていたころに、思いはかない、
人生は全て、自分の思いでつながっていくんだと思うわけである。

かえるはそんな人生にとても満足している。


友人からの残暑見舞い [ひとりごと]

先日、久々に残暑見舞いをいただいた友人のはがきを見て驚き!

「7/1に縁あって入籍しました。
近所に(ほんとに近所です。ちびの幼稚園のすぐ近く)越してきたので、あおうね。」と新しい姓と息子は前姓(離婚時に彼女とともに前姓になったので、彼は一度姓が変わっている)のままの名前で、新住所とともに記されていて、驚き!

アドレスが携帯とパソコンあったので、
すぐに携帯にメール。
ひやぁ!!すぐに返事がきましたよ。

実は娘が生まれてすぐに、
ご近所のひとといった育児サークルで、
しりあった友人で、その後一緒に生協をしたり、
幼稚園も一緒だったりで、いつもべったりではないけど、
なんだかつかず離れずで、子ども同士は異性なので、
まあ、サラッとした関係で、
離婚騒動のときはいろいろと話をしたり、
まあ、修羅場も拝見しました。

うーん。その後も時々はがきを交換したり、
電話したり、いろいろだったんだけど、
子どもたちが中学に入り驚いたのは、
互いにブラバンでサックスを吹いていたんですね。
同じ区なので、区の音楽会で見かけたりして、
高校一緒になったりしてね。
っていっていたのですが、
高校は一緒にはならなかった。
けど、彼も、高校でブラバンを続けているとのこと。

えやぁー縁があるってすごいなーと思うのです。

でここからが、かえるが思ったことのなのですが、
戸籍法からいうと親子の縁は夫婦の縁より薄いのかと思うのです。
今、彼女の息子は新しいお父さんの養子になっていないようなので、
ひょっとして一人で一つの戸籍にいるのかな?って

親とこの縁は切っても切れないし、
日本のいう国は、家族の中の子どもであって、
なかなか個人主義的な考えが浸透しなかった。
けれど、制度上、やはり個人主義。
夫婦を一つのまとまりと考え、
それが基本とする考えにかわりつつあるのかもしれません。

そういえば、戦争中に外地で家族を持った人の末裔が、
日本にきて、その親戚を頼って、日本で仕事を持ち、
子どもたちは学校に行くようになり、
家系図に入れていただいたというような話が掲載されていましたが、
日本はこの考えが強いために、日系人には就労のチャンスは大きいのに、
そうでない人には厳しいんだなって思いました。

しかし、家系図というものもそのうち普通では語られなくなるんだろうな。
やはり、この急激な社会変革についていけないことが世代間のコミュニケーションを困難にさせているんだろうと、おもうかえるでした。


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

音楽 [ひとりごと]

あることから、
昔のかえるを思い出すようなことに出会い、
当時、夢中だった
Queenのアルバムを借りてきた。

実はアナログレコードとしては手もとにあるし、
アナログプレーヤーもあるので、
いつでも聞けると鷹をくくっていた。

アナログプレーヤは屋根裏で、聞けることはきけるが、
あつくてとてもすわっていられない。
大変な思いでおろしてきたのは良かったが、
レコードプレーヤー一回だけはきちんと動いてくれました。

アナログ→デジタル変換して、パソコンに取り込もうと、
2回目にプレーヤーを動かしたところ、
ある程度まで動くとそれ以上アームが奥までいかない。

というわけで、二度とレコードは再生できないでいるのです。

で、Queenからはじまって、
Stones、そのたいろいろと一生懸命聞いていて、
自分の中で、音を出してみたり、作ってみたりしていた昔を思い出して、
かえるの人生を振り返ってみるきっかけに、
音楽はなってくれていて、
やはりすごいなぁって思うわけです。

でここからが本題で、
実はかえる自身はかえる娘のころは本気で音楽で食べていこうと思っていたのですよ。
自分が音楽を作る側でなくても、
音楽産業っていろいろあるので、
本気で食べていくと思っていたし、
現実、作曲とかしていて、
それなりに、自分でもいけるかなと思うことがあったのです。

しかしながら、それはかなわなかった。
親の価値観とかえる自身が板挟みになり、
「芸術などをやるなんて、遊び者」
というわけで、どうにもその枠から出ることができなかったかえるがいたわけです。
そして、親を捨てるわけにはいけなくて、
それでも、家をとびだして、もがいてもがいて生きてきたわけですけどね、
いまだに、心理的に抑圧してくる親との嫌な関係を感じているのです。

当然かえるのこどもも大きくなり、
自分で物事を考えるようになり、個が確立してくる最中で、
かえるの親と接触すると、かえるが子ども時代(今もかもしれない)に感じていた違和感を覚えるようになってきたみたいなのです。

なぜそうなるのか、ずっと悩んでいて、
どうしてかえるの親は、自分の価値観を全面的にあけ広げて、
周りをその価値観のみでうめてしまい、
「子どもの人権なんて認めん」なんて、ユネスコさんに叱られそうなことを平気でいってのけるのか?
疑問で仕方なかったのですね。

かえるなりに、戦争時代の背景やいろいろなことを
整理してきたものの、どうにも強烈なかえる親の前に出ると、
かえる自身が一か月は精神状態が不安定になる。

それは、女性学の講義を受講して分かりました。
世の中の価値観が激変していることに、
気付いていない、気付けない世代の親だったというわけですよ。

スクーリングにたくさんの親世代の人たちがいて、
その世の中の動きについていけないでも、
もがき、次世代やその次の世代を育てようとしていたり、
かえる世代でも、どうすれば、多世代と関わっていけるだろうと、
模索している人たちと同じ講義室で受講したわけで、
すごく刺激になったし、なるほどとかえるのなかで、
溶けるものがでてきたのです。

日本は何かと親不孝と言う言葉を嫌い、
かえる自身も親不孝と言われたくないので、
どうにも親からの縛りから抜け出ることができないけれど、
親にいい顔をすることが子どもたちに良い影響を与えないのであれば、
少々の親不孝はいいのではないかと思うようになりました。
今はかえるの子どもが精神的に安定した大人に育てることが、
かえるの仕事。

子どもたちが自分を確立し、精神的に安定すれば、
またどうしようもない親の価値観と適当につきあいながら、
親孝行をすることになるだろう。
もう少し、親不孝でもいいと思うこのごろ。

そして、音楽が芸術が好きなかえる娘のこころも傷つけられないように、
守らなきゃと思うかえるでした。




nice!(3)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。